1976年11月6日(土)18時開演


    適当な訳詩がなく、事務局長が 英語版の楽譜から、何とか作り上げたが、さて、その結果は     
                            <音楽文化の創造39(直美・記)>

 

お世話になりました
≪弘前オペラ30周年記念誌・2001/3/31発行≫より

  30回記念の『フィガロの結婚』。序曲が鳴り出した時思い出した。指揮者の前にチェンバロがあり、チェンバリスト兼指揮者の福永陽一郎先生が立っていたことを。先生が両手を振り下ろすたびにオケピットの床が揺れ、譜面代がユラユラしていた。(この演奏が『フィガロ』と思っていたが、今回調べたところ『ドン・ジョヴァンニ』であった。)
 弘前に転勤してきて第6回『ラ・ボエーム』に初参加。9回以降、青森・三沢・大館・弘前・仙台と転勤を繰り返しながら休むことなくオケの一員として参加させてもらった。
 その23回の中で子供達が出演したことが特に楽しい想い出となっている。
 18回の『魔笛』では10人の子役の一人としての長女とともに、大館から練習に参加。本番前に弘前に転勤が決まり、引っ越し荷物を解く間もなく、長女と急に出演が決まった長男を連れてゲネプロに駆けつけた。この時、長女6歳、長男4歳であった。
 20回の『蝶々夫人』は2回公演で、6歳の長男と4歳の次男が子役で出演。オケピットの中にいる私からは舞台は見えず、終演後ピンカートン役の(シャープレスです)油川さんに「笑う場面じゃないのに女子高生に笑われ、何だ?と振り返ると子役がイスで足をブラブラさせてたのしそうで・・・・」と言われ赤面。
 28回『魔笛』では、演出上ピエロ役が8人必要とのことで、弘前南高校吹奏楽部に白羽の矢が立ち、ピエロ役で長女出演。続く29回『天国と地獄』では、世論のお供の女子高生役として3回目の出演。
 ステージを見ることの出来ない私と違い、妻は結婚以来、ゲネプロ・本番はもちろん練習段階から足を運ぶこともあり、厳しい評論家となっている。
 今や私の宝物である福永先生のサイン入り『バタフライ』のプログラムと、23冊の弘前オペラのプログラム。これからも舞台の下でいい演奏続けていけたらと思う。
                          
                            弘前オペラ管弦楽団    赤平 陽二

 *子役が出尽くし現在は妻が合唱団員として出演し続けております
      いずれ孫に引き継ぐのかな〜〜(HP.筆者)

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<第6回公演プログラム> ★全ページ掲載、スタッフ・広告掲載の皆さまありがとうございました